ザ・スタートアップ ネット起業!あのバカにやらせよう 読書メモまとめ

本書は、日本のインターネット黎明期における起業家たちの挑戦と葛藤、そして成功と失敗を鮮やかに描いています。Q ネットから i モード、ビットバレーに至るまでの歴史を紐解きながら、彼らを突き動かした「バカ」とも称される情熱や、ビジネスの本質、そして時代を超えて変わらない成功の秘訣について深く考察します。


はじめに

本書が描くのは、インターネットという新たなフロンティアが拓かれた時代の熱狂と、そこに飛び込んだ若き起業家たちの物語です。彼らは、既成概念にとらわれず、時に無謀とも思える「バカ」な情熱を胸に、新しい「場」を創造しようと奮闘しました。この読書メモでは、そんな彼らの挑戦から得られる普遍的な教訓をまとめます。

黎明期の熱狂と起業家たちの「バカ」な挑戦

Q ネットの興隆と挫折

1990 年代初頭、「Q ネット」は電話回線を通じて多様な情報を提供する画期的なシステムとして登場しました。

〇九九〇 − 三二〇 − 一一〇。 東京の Q ネットセンターの番号。利用者はここに電話をかけ、# に続いて四ケタの番号を押すことで、そこから希望する番組、プロレス情報とかアイドル情報、雑誌情報、映画情報などの番組に飛んで行くことができる。つまり Q ネットは九九九九個の箱をつくって、そのインフラを売る会社。

真田の「何でも束ねる」というポータル的な発想は、Q ネットの成功の鍵でした。

しかし、健全な番組が大半であったにもかかわらず、Q2 サービスはアダルト番組のイメージが先行し、社会悪とみなされるほど急速に悪化。業界は自主規制に乗り出しましたが、大企業の番組提供打ち切りが相次ぎました。

真田は自己破産をちらつかせる交渉術を身につけ、窮地を乗り越えようとしましたが、最終的に Q ネットの野望は潰えます。それでも彼は「不屈の意志」で足掻き続け、その構想は 10 年後の i モードへと繋がります。

僕(筆者注:真田)がダイヤル ・キュー・ネットワークという会社を立ち上げてやっていた頃、ダイヤル Q2 業界の熱狂は本当に凄かった。二〇〇〇年頃のインターネットも、二〇一〇年頃のソーシャルゲームもそう。みんな、われ先にと業界へ入っていく。だからゴールドラッシュとも言う。

産業の「青春時代」とゴールドラッシュ

インターネット業界の黎明期は、まさに「産業の青春時代」でした。多くの人々が新たな可能性に魅了され、競って業界に参入する「ゴールドラッシュ」が巻き起こりました。

若さゆえの“バカ”という側面はある。すなわち家族とか子供とか、守るものができると人は“バカ”になれない。子供ができたら守りに入るのは動物的本能ですから。守るものがない時に、 人は何だってできるので、そういう意味では、は若いうちにやっておけよと。家族ができる前に挑戦しておけ。

守るものがない若いうちにこそ、リスクを恐れずに挑戦することの重要性が語られています。

起業家像とマインドセット

企業の成長段階に応じてトップには「コマンドー」「正規軍」「官僚」の 3 タイプが存在するという分析があります。

「企業の成長段階に応じてトップは三種類に分かれる」という分析。第一段階は「コマンドー」。コマンドーは落下傘で音もなく忍び寄って鋭利なナイフで敵の咽をかき切り侵入路を切り拓く。第二段階は正規軍で、隊列を整え命令一下、圧倒的物量で敵を制圧してしまう。 大きな斧で相手をなぎ倒してしまうのだ。 こうした正規軍のトップは技術的知識を持った将軍でなければならない。第三段階として官僚がやってきて軍政を布く。そうなってくるとコマンドーは居場所がなくなるので、次の戦地を求めて放浪の旅に出る。

起業家は「自分がこの世で一番」と思い、自己主張が強く、孤独になりがちな存在です。

成功者は自らの失敗談を美化しがちですが、人間はなかなか学習しない動物であり、失敗が必ずしも経営に役立つとは限りません。ビジネスにおいて感情移入しすぎることは危険であり、淡々と合理的に進めるニュートラルな姿勢が求められます。

ハイパーネットの光と影

画期的なビジネスモデル

1994 年、ハイパーネットは音声応答装置と電話を組み合わせた画期的な懸賞応募・通信販売システムをスタートさせました。

ハイパーシステムのビジネスモデル。 ユーザーには加入時にアンケートに答えてもらいユーザー属性を把握する。インターネットのブラウザー(閲覧)ソフトは当社がユーザーに配る。このソフトを起動すると、ネットに接続している間は画面の一部に別枠のブラウザーが出てきて、常に広告が流れるようになる。スポンサーがいるから、ユーザーはタダでインターネットに接続することができるというわけだ。

当時の音声自動認識技術は未熟で、裏ではオペレーターが手作業で入力していましたが、住所のデータベース化などの工夫で効率化していました。

経営戦略と課題

ハイパーシステムプロジェクトには、システム開発、特許・著作権申請、データベース管理、プロバイダー確保、広告獲得といった多岐にわたる要素が必要でした。経営においては、マネージャーのタイプに応じた情報提供の重要性が指摘されています。

しかし、ナスダック上場延期は社内の雰囲気を一変させ、社長の板倉は社外対応に追われ、社員との意識乖離が拡大。大企業からの融資も、大銀行が後ろ盾にいること自体が「保険」として機能していました。

失敗からの教訓

板倉のケースは、事業創出の重要性と資金調達の難しさを示しています。

ベンチャー成功の鍵は、経営リソースと経営スタイルが一致しているかどうか。ベンチャーの経営スタイルは、ハイリスクハイリターンで市場シェアを取るというものだから、それに見合ったものにベクトルを一致させるべきだった。ところが僕(筆者注:板倉)はそうしなかった。リソースというのは、まずカネですがベンチャーならリスクマネー(株・債券)を使うべきなのに僕は銀行融資に頼ってしまった。人材は、MBA や会計士の資格を持った高給取りを集めてしまった。モノはタンデムに頼んだけど、実はパソコンサーバーでよかった。

ネットの特性に過度に依存する経営は脆弱であり、起業家としての資質を基盤にネットを活かす意識が求められます。

ビットバレーの創造とコミュニティの力

学生アントレプレナーの胎動

1990 年代半ば、早稲田大学では宮城治男がアントレプレナー研究会を立ち上げ、学生アントレプレナー連絡会議 (ETIC.) へと発展させました。慶應義塾大学 SFC の村井純も学生に「40 歳までに 4 億円稼げ」と発破をかけ、多くのネットベンチャーを輩出しました。

初期のウェブサイト制作は需要が高まりましたが、請負業から脱却し、広告業、コミュニティサイト、物販などへとビジネスを進化させる必要がありました。

渋谷という「場」の形成

多くのネットベンチャーが拠点としたのは渋谷でした。長時間働く起業家たちにとって、個別空調のマンションが多い渋谷は好都合だったのです。

シリコンアレー。 シリコンバレーが半導体関連企業など技術志向が強いのに対し、シリコンアレーはニューヨークのコンテンツ制作から始まった企業が多く、日本のネットベンチャーはこちらに近かった。

この流れを受け、「ビットバレー」は「理念が社会をつくる」貴重な事例となりました。

オフライン交流と「小さな政府」

インターネットはバーチャルなイメージがありますが、ネット企業にとってフェイス・トゥ・フェイスの交流、すなわち「オフ会」は極めて重要でした。

オフ会(オフライン・ミーティング)。 ネット上の付き合いをオン、直接会うことをオフと呼び習わす。

こうした交流の場に、起業家だけでなく弁護士、会計士、VC が集まり、人・モノ・カネが集中し、活性化していきました。

「ビット(電子的な情報量の最小単位)な付き合いだけじゃ駄目だ。気心の知れた業界人たちと、ある程度閉鎖された関係の中で自由にアイデアを交換できると、そこかビジネスが始まりそうだよ」。

ビットバレー協会 (BVA) は「小さな政府」を意識し、コミュニティ・インフラの提供に徹しました。

「われわれがやるべきはコミュニティ・インフラの提供であって、僕たちがあまり出すぎちゃいけない。場を作って、そこにベンチャーの種が蒔かれて生えてきて、VC という太陽に照らされ、いろんな肥料ももらって自然と育っていく。だから起業家以外の人も集まってほしいし、公的なところがやっているというイメージがあった方がいい」。

「渋谷」という言葉自体が、先端人たちの参加意欲を刺激する力を持っていました。

日本型組織とフリーライダー問題

日本は他者との関係構築が苦手な文化で、組織では支配=従属関係になりがちです。また、組織と個人のパーソナリティを一体化させ、本音や情報を開示しない「フリーライダー」が多いと、交流の場は長続きしません。

ビットバレー事務局は、運営者の存在を前面に出さず、自然発生的なコミュニティというイメージを演出することで、そうした問題を回避しようとしました。

「こんなのはファッションにすぎんと言われるかもしれない。でも気にするな。ファッションの中から一握りのジーニアス (天才)が生まれるんだ。この中から本物が出てくるんだ」。

初期のブームが一時的なファッションに見えても、その中から真の才能が生まれるという期待がありました。

i モードの革新と Win-Win モデル

開発の経緯とキーパーソン

i モードの誕生は、1997 年のドコモ社長からの「携帯電話を使った非音声通信ビジネスを研究せよ」という命令から始まりました。この開発を牽引したのは、リクルート時代から交流のあった夏野剛と松永真理のコンビでした。

サービス構想では、欧米のホテルで客の要望を聞く係員を指す「コンシェルジュ」がキーワードとなり、生活シーンを細やかに手助けするサービスが目指されました。

コンシェルジュ。 欧米のホテルで客の要望を聞いてチケットの手配などをやってくれる係員のこと。そうした細々とした生活シーンを手助けするサービスを考えていったわけだ。

i モードのビジネス戦略

夏野は i モードを単なる技術インフラではなく、「ポータル」として強く意識していました。

インターネットというのは、一番効率的な技術が必ず勝つというインフラではない。 技術の優秀性より、より多くの人が使っているサービスの方が勝つ。だからユーザーが〝使いたくなる”ものでなければならない。これは技術志向のある従来の通信事業者にはいまひとつわかりにくいもの。ドコモはインフラ屋なのでコンテンツをつくることができない。どうすればいいコンテンツを集められるかが問題で。僕(夏野)は〝複雑系”の理論がかなり好きで、コンテンツ・プロバイダー(情報提供者)が最適な役割を果たすことで、i モードが最適なインフラになるだろうと思っていた。鍵は、彼らがいいコンテンツを提供したくなるプラットフォームをいかに整備するか。 彼らにもわれわれにもメリットがある Win-Win モデルをどう構築するか、そこのところの方法論を突き詰めて、 事業計画書に落とし込むのが夏野の仕事だった。

i モード成功の要因は「複雑系のポジティブ・フィードバック」であり、ドコモはプラットフォーム運営に徹し、コンテンツプロバイダー(CP)に魅力的なコンテンツを提供してもらう Win-Win モデルを構築しました。

「i モード成功の要因は、複雑系のポジティブ・フィードバック”。 つまり i モードの参加者は各々自分の役割を認識して自分のためにだけやっているわけ。われわれドコモは i モードというプラットフォームの運営者ですから、最初にきちんとしたコンテンツプロバイダーを集めましたし、自分自身でコンテンツを持ったり、データを再配信したりはなるべくしない。そこさえしっかりしていれば、コンテンツの数も増えるし、ユーザー数も増える」。

CP には「新鮮さ」「深さ」「継続性」「利得の明白さ」という 4 つのキーワードが求められました。

「インターネットではない」という逆説

i モードが他のキャリアと一線を画したのは、「これはインターネットです」と明言しなかった点にあります。むしろインターネットと思われたら失敗だと考え、独自の閉じた「場」を構築することで成功しました。

i アプリと後世への影響

i アプリは、現在の「AppStore」などの課金アプリビジネスの先駆けでした。スマートフォン登場後、Apple や Google は i モードを研究し、現在のモバイルインターネットの成功に繋がっています。2000 年代の「i モードを持ってきてくれ」という海外からの要請は、現在の日本のアニメ・漫画が海外で評価される感覚と酷似しています。

起業家の本質と成功の秘訣

自己表現としての起業

起業家が会社を興す最大の動機は「自分の正しさを証明するため」であり、起業は彼らにとっての自己表現の方法です。堀主知ロバートのように、狂気とも思える起業意欲で、損得を考えず「俺はこれをやりたいんだ」と行動するのが筋金入りのベンチャー経営者です。

(筆者注:初めて触ったインターネットに対する堀の言葉)「こんな凄いことができてくれてありがとう」。

成功を信じ続ける力

「お金があればやりたいことができる」という考えは間違いであり、アイデアと行動力があればお金は後からついてきます。起業するか悩むくらいならやらない方がいいとされます。

最も大切なのは「自分は成功するんだ」と思い続けることです。失敗を恐れず、タイミングを逃さずに試行錯誤し、成功を信じて粘り強く打ち込むことが重要です。失敗は、成功するまで続ければプロセスの一部に過ぎません。

人脈と情報、そして縁

成功した経営者は「ワイン会」のような偶発的な出会い(縁)を大切にしています。情報も人脈も、自ら発信し、紹介し、投資しなければ増えることはありません。

大企業とベンチャーのリスク

「本当は一番リスクがあるのは大企業にいること」であり、会社の外に出るべきという指摘もあります。

ネットベンチャーは「持たざるもの」として身軽に動けますが、大企業はしがらみに縛られ、過去の遺産を切り売りしている状況です。しかし、ネットベンチャーも黒字企業は少なく、利益を出すことは容易ではありません。

目標達成のためには、大企業・ベンチャー問わず、邪魔なものを一つずつ知恵を使ってクリアしていくことが真理です。

未来を拓くビジネスと社会貢献

情報の非対称性を突く

古書を扱う「ビズシーク」は、画期的なビジネスモデルを構築しました。

情報の非対称性。 商取引の中には、実はもっと安い値段で売っているのに、顧客がそれを知らないばかりにバカ高い値段で買わされているというケースが非常に多い。この非対称性が大企業にもたらしている超過利潤がネットビジネスによって大企業からもぎとられ、新しい主権者である消費者の手に渡るのではないかという期待がある。その価値がネットベンチャーの利益となり、また高株価に反映されていると考えられる。

ビズシークは買い手側が「この商品が欲しい」と呼びかける「倒逆的発想」で、情報格差を利用して儲けている企業を潰すことができると熱意を持っていました。

「僕はこれを思いついた時は、刺されても構わないと思いましたよ。これは情報格差を利用して儲けている企業を潰すことができるビジネスなんです。僕ら二、三人の個人がそんな大きな影響を持つかもしれないシステムを提供できるというのは、こんな愉快なことはない。僕は絶対に、ネットを使えば根本的にパラダイムを変えるビジネスをやることができると思います」。

このモデルは成功し、古書店側も情報配信を求めるようになりました。蓄積されたデータはマーケティングの宝庫となりました。

「場」と「ネットワーク」の中での独自性

ウェブサイト制作会社は、請負から脱皮し、広告業やコミュニティサイト運営へと進化していきました。

堀江貴文は、社長自らが各分野の仕事を「中の下」レベルでこなせる最小ユニットのチームで事業を立ち上げ、徐々に組織を拡大しました。

インターネットビジネスの勝負は、オープンなシステムの中でいかに自社の「領分」を区切り、ブランドを確立し、ユーザーを惹きつけられるかです。i モードは「インターネット」を否定することで、独自の「場」を創造しました。ネットワークの中で独自性を主張し、他者に価値を提供できる主体となれるかが問われます。

社会起業家たちの挑戦

ETIC.を立ち上げた宮城治男は、社会の意識を進化させることを意図し、NPO としてニュートラルな立場で多くの人々を巻き込みました。

私(宮城治男)の中では社会の意識を進化させるという意図が常にある。そう考えた時、みずからはニュートラルな非営利組織となり、いろいろな方々に関わってもらってみんなが当事者になっていく方が、遠心力のパワーが増すし面白い。

社会課題を事業で解決する「社会起業家」の領域は、儲かりにくいですが、ゼロサムゲームではないため、努力は報われ、大きなインパクトを生み出す価値があります。

経営者の責務と心労

「事業というのは結局、毎日毎日出てくる問題を一つずつ、どのように乗り越えていくかということだと思います。それをあきらめた時に、余裕のある会社なら進歩がなくなるし、余裕のない会社は潰れてしまうわけです。」

経営者は常に未知のリスクの中で事業を浮遊させ、従業員の生活を保障する重責を担っています。企業は社会のネットワーク・コミュニティの一部分であり、「企業市民」として社会に価値を提供し、その福祉の増進に貢献する必要があります。


結び:この本が伝えるメッセージ

「ザ・スタートアップ ネット起業!あのバカにやらせよう」は、インターネットという新たな波に飛び込んだ起業家たちの情熱と、彼らが直面した現実を鮮やかに描き出しています。彼らの「バカ」なまでの挑戦は、ビジネスの本質、組織のあり方、そして個人の生き方について多くの示唆を与えてくれます。

自己表現としての起業、成功を信じ続けるマインドセット、そして人脈とオフライン交流の重要性は、時代が変わっても普遍的な教訓です。日本のアニメや漫画が世界で評価されるようになったように、日本の起業家精神もまた、世界に大きな影響を与える可能性を秘めているでしょう。

感動や喜びは、スポーツや投資先の成功、そしてイーロン・マスクに見られるような「誰も思いつかないビジョンと異常な執着心」によっても生まれる。この本は、私たちに「自分の人生の中で本当にやりたいことは何か」を問いかけ、自ら「場」を創造し、能動的に生きる力を与えてくれます。

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